第二次世界大戦における兵士、戦後強制抑留(いわゆるシベリア抑留)、海外からの引揚げに関する資料を展示する平和祈念展示資料館(東京都新宿区西新宿)は、このほど、シベリア抑留体験者であり、作曲家として国民栄誉賞を受賞した吉田 正(よしだ・ただし、1921年1月20日~1998年6月10日)氏の生誕100周年を記念し、当資料館オリジナルの映像作品「吉田正 生誕100周年-シベリア抑留から生まれた歌たち-」(約15分、日本語字幕付き)を企画・制作。本年(2021年)12月12日(日)午前9時30分から、平和祈念展示資料館公式YouTubeチャンネルで公開します。視聴は無料です。
本作品では、昭和歌謡好きな東京の大学生が、ネット検索中に偶然知った「作曲家・吉田正」と、吉田氏のシベリア抑留体験に興味を持ち、当資料館を訪れます。「戦後強制抑留者」コーナーや、現在開催中の企画展「シベリアでの出会い 抑留者の心に残った異国の人と文化」を見学する様子に、シベリア抑留の解説を交えながら、抑留者と戦後の人々に生きる勇気を与えた吉田氏の代表曲を通じて「作曲家・吉田正」の曲作りに対する強い信念と人物像を紹介します。
当資料館は、以前から、吉田氏の生誕100年を記念したイベントを検討していましたが、コロナ禍の状況を鑑み、今回のオリジナル映像の制作を決定しました。
(※1)吉田正の「吉」は、正しくは「土のしたに口」です。
《作曲家・吉田 正とは‥》
戦後日本の復興期から高度経済成長期にかけて、吉田正氏は1960(昭和35)年の「誰よりも君を愛す」に続き、1962(昭和37)年に吉永小百合さんと橋 幸夫さんのデュエット曲「いつでも夢を」で日本レコード大賞を2度受賞。名実ともに日本歌謡界のヒットメーカーに昇りつめ、1998(平成10)年6月に77歳で亡くなるまで、約2,400曲を世に送り出しました。
1921(大正10)年1月20日、現在の茨城県日立市に生まれた吉田氏は、幼いころから音楽に興味を持ち、独学でハーモニカやマンドリン、ギターを学んでいました。1942(昭和17)年に陸軍の歩兵第二連隊に入隊し、満州(現在の中国東北部)に渡ります。1943(昭和18)年、急性盲腸炎で緊急手術を受け、1か月におよぶ入院生活中に、自身の作曲家人生を決定づける「異国の丘」の原曲となる「昨日も今日も」(作詞・作曲:吉田 正)を作ります。
満州で終戦を迎え、1948(昭和23)年8月、舞鶴港(京都府舞鶴市)に復員するまでの約3年間、酷寒の地・シベリアに抑留されている間も、音楽への情熱は消えることはなく、樹皮やセメント袋の切れ端に曲を書き続けました。のちに吉田氏は、これらの歌は「生きているあかし」だったと語ったそうです。
《大ヒット曲「異国の丘」の誕生秘話》
吉田氏が軍隊生活中に作詞・作曲した「昨日も今日も」に、同じシベリアの収容所に抑留されていた増田幸治(ますだ・こうじ)氏が、新たに歌詞をつけました。望郷の思いが込められたこの曲は各地の収容所に広まり、作業の行き帰り時などに歌われ、生きる勇気を与える曲として、抑留者たちは復員した後も歌い継ぎました。
日本では、吉田氏より先にシベリアから復員した中村耕造(なかむら・こうぞう)氏が、1948(昭和23)年8月、NHKラジオ番組「のど自慢素人演芸会」(現在の「NHKのど自慢」の前身番組、当時はラジオ第一放送のみ)で、詠み人知らずの「俘虜の歌える」と題し、「異国の丘」を歌ったことで、作曲者は誰なのか?に注目が集まりました。知人を通じてこの話を知り、名乗り出た吉田氏は作曲者と認められ、同年9月、レコード化された「異国の丘」は大ヒットします。この曲が縁となり、吉田氏は翌年の1949(昭和24)年4月、日本ビクター株式会社に専属作曲家として入社。以後、数々のヒット曲を生み出し、昭和を代表する作曲家と呼ばれるようになりました。
【映像コンテンツ概要】
作品タイトル/「吉田正 生誕100周年 -シベリア抑留から生まれた歌たち-」
作品時間/約15分
公開先/平和祈念展示資料館 公式YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCLrCfHRIshZcXbaKq3xuBTw
公開開始日時/2021年12月12日(日)午前9:30
視聴料金/無料
使用楽曲(作曲はすべて吉田正、作曲年順)
※「異国の丘」はレコード発売年
※「帰還の日まで」を除く、レコード発売元は日本ビクター
(現 JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)
1943(昭和18)年 「昨日も今日も」(作詞:吉田正)
※「異国の丘」の原曲
1947(昭和22)年 「帰還の日まで」(作詞:吉田正/歌手:北嶋鉄之助)
※2011(平成23)年1月、㈱ミュージックグリッドから、
オンデマンド形式によるCDで発売された
「吉田正 シベリアまぼろしの歌」に収録
1947(昭和22)年 「思い出抱いて」(作詞:吉田正/歌手:大川信之)
※2014(平成26)年11月発売、
「戦場の歌 ~新発掘・吉田メロディー~」に収録
1948(昭和23)年 「異国の丘」 ※レコード発売年
(作詞:増田幸治、補作詞:佐伯孝夫/歌手:中村耕造、竹山逸郎)
1959(昭和34)年 「誰よりも君を愛す」※1960年「日本レコード大賞」受賞曲
(作詞:川内康範/歌手:松尾和子・和田弘とマヒナスターズ)
1962(昭和37)年 「寒い朝」
(作詞:佐伯孝夫/歌手:吉永小百合・和田弘とマヒナスターズ)
1962(昭和37)年 「いつでも夢を」 ※1962年「日本レコード大賞」受賞曲
(作詞:佐伯孝夫/歌手:橋 幸夫、吉永小百合)
1963(昭和38)年 「美しい十代」(作詞:宮川哲夫/歌手:三田 明)
出演/山宮謙佑(城西国際大学)、小木美海(城西国際大学)
川口麻里絵(平和祈念展示資料館 学芸員)
ナレーション/小嶋芽吹(城西国際大学)
協力/株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、吉田事務所、
日立市吉田正音楽記念館、城西国際大学
企画・制作/平和祈念展示資料館
備考/日本語字幕付き
一般の方からの問い合わせ先/平和祈念展示資料館
TEL:03-5323-8709、 公式HP:https://www.heiwakinen.go.jp
■映像で使用した写真 ※抜粋
■吉田正 プロフィール
本名・筆名/吉田 正(よしだ・ただし)
生年月日/1921(大正10)年1月20日
出生地/茨城県多賀郡高鈴村助川(現在の日立市鹿島町一丁目)
最終学歴/日立工業青年学校(現在の日立工業専修学校) 卒業
職歴/1939(昭和14)年4月、増成動力工業株式会社(東京都京橋区槙町)入社
軍歴/
1942(昭和17)年1月、陸軍の歩兵第二連隊に入隊、1か月の訓練ののち満州へ
1945(昭和20)年10月、シベリアに抑留
1948(昭和23)年8月、舞鶴港に復員
音楽歴/
1949(昭和24)年4月、日本ビクター株式会社専属作曲家として入社
(~1998年6月)
1998(平成10)年6月10日 永眠(享年77歳)
褒賞および叙勲/
1969(昭和44)年4月、芸術選奨文部大臣賞
1982(昭和57)年11月、紫綬褒章
1992(平成4)年4月、勲三等旭日中綬賞
1998(平成10)年6月、国民栄誉賞
1998(平成10)年12月、日立市名誉市民として顕彰
その他の賞/
1960(昭和35)年12月、日本レコード大賞「誰よりも君を愛す」
1962(昭和37)年12月、日本レコード大賞「いつでも夢を」
1968(昭和43)年12月、日本レコード大賞特別賞
1990(平成2)年12月、日本レコード大賞功労賞
1993(平成5)年3月、日本放送協会 放送文化賞
1997(平成9)年12月、社団法人日本音楽著作権協会 功労者賞
生涯作曲数/約2,400曲(歌謡曲1,800曲、校歌ほか600曲)
※参考:「平和祈念展示資料館」 施設概要
施設名/平和祈念展示資料館
英文表記/Memorial Museum for Soldiers, Detainees in Siberia, and Postwar Repatriates
開館日/平成12(2000)年11月30日
施設内容/兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者に関する資料を展示
所在地/〒163-0233 東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル33階
TEL:03-5323-8709 FAX:03-5323-8714
アクセス/
・都営大江戸線 「都庁前」駅 A6出口から徒歩 約1分
・東京メトロ丸の内線 「西新宿」駅から徒歩 約5分
・JR、小田急線、京王線 「新宿」駅西口から徒歩 約10分
開館時間/9:30~17:30(最終入館17:00)
休館日/毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日、夏休み期間は除く)、
年末年始(2021年12月27日~2022年1月4日)
入館料/無料
展示面積/約460㎡
施設構成/
常設展示室(兵士コーナー 、戦後強制抑留コーナー、海外からの引揚げコーナー)
企画展示コーナー、体験コーナー、情報メディアコーナー、図書閲覧コーナー、
ビデオシアター
所蔵資料数/所蔵資料数:約22,000点、所蔵図書数:約12,000点
常設展示資料数:約400点(グラフィックやジオラマ含む)、
開架図書数:約2,000点
名誉館長/立正大学名誉教授・増田 弘(ますだ・ひろし)
入館者数/約92万3,000人(2000年11月30日~2021年10月31日現在)
公式WEBサイト/ https://www.heiwakinen.go.jp